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これは聴いておきたい!

2016年9月19日 (月)

春日野音楽祭で演奏させていただきました

きょう、春日野音楽祭に参加させていただいた。

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春日大社の式年造替に因んだイベントで、実行委員会と春日大社が主催している。

そんな由緒正しい音楽祭に、
奈良県軽音楽連盟からお声かけいただいて演奏させていただくことになった。

私は、生まれも育ちも奈良なのに、県外の高校や大学に通ったり、今も、県外で働いていて、
どうも奈良に不義理している感をこのところずっと持っていたので、
奈良に貢献できる機会はとてもうれしかった。

奈良県の軽音楽連盟も、奈良県の軽音楽部振興にとても尽力されていて、
そのお手伝いをさせていただけたのはうれしいことだ。

まだまだ、高校軽音楽は、一般には十分に認知されておらず、
きょうも、運営されている商工会の方と話していると、
高校の軽音楽部がこんなにいいとは知らなかった、ダンスや吹奏楽はわかっていたけれど、
これなら、ほかのイベントにも出てもらいたい、
そんなことをおっしゃっていた。

おそらく、これは奈良県だけのことではない。
高校軽音楽も公共の場での演奏が増え、認知の幅が広くなってきてはいるけれど、
一般の人が触れる機会そのものが少なすぎ、
”知っている人は知っている”レベルにとどまっている。

そういう意味で、今回のイベントは、本当に意義深い機会だ。

うちの部員たちにとっても、
自分たちは見てもらってナンボ、伝えてナンボ、楽しんでもらってナンボ、
が 実感できたのではないだろうか。

きょうのうちの演奏テーマは「リゾート」。
ハワイアン、夏、を軸に構成した。
どれだけ外国人観光客の足を留めることができるか、
というのも野心としてあった。

少しでも、楽しんでいただけたなら、と願わずにはいられない。

きょうは、本当にいいイベントに出させていただいた。
このイベントが、式年造替の年だけでなく、毎年開催されることを願ってやまない。

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2016年8月18日 (木)

「両立」と「欲張り」

最近の生徒を見ていると、
努力すれば「何でも」できる、
と思っているのではないか、と感じることがある。

ここ数年、特に気になることだ。

しかし、自分の能力と物理的な時間を掛け合わせた時、
どうしても無理なことがある。

努力してもできないことはあるよ、
と言ってしまうと、夢のある高校生に教師が何ていうことを言うんだ、
と叱られそうだが、
実際、物理的(制限された時間と、その子に必要だと思われる時間)に、
どう考えても不可能だと思われることを望む子が、
今、本当に多くなってきている。

それを、そうかそうか、と受け止めるのは、
それこそ教師としては無責任で、
どっちつかずにしてしまう恐れがある。

勉強とクラブの両立。
うちのクラブでは、これを掲げているが、
これは物理的な時間と、それをこなす能力という制約がある。

こなせないとなれば、何かを捨てなければならない。
スマホでゲームやラインをする時間を削って、
勉強したり、練習したりしなければならない。

学校というところは、
全員が余裕を持って生活が送れるとは限らない。
また、様々な場面で、今、両立できるかどうかを判断しなければならない。
(クラブをやめれば勉強ができるようになるわけではない)

入部の際、特進コースの子たちには、
特進コースは勉強にものすごいエネルギーがいるし、
軽音もエネルギーの必要なクラブだから、
ほかの部員より、たくさんエネルギーを使わないと両立できないよ、
その覚悟をしなさい
と話す。

今時の子たちは、もしかすると、
根拠なく認められ過ぎているのではないか、
また、根拠なく褒められすぎているのではないか、
と思う。

認めることと褒めること、これは加減が難しい。
この加減を見誤ると、子どもたちは、自分のこなせる時間と能力が見極められなくなる。

「両立」は、あるラインを過ぎると「欲張り」になる。

生徒に、そのラインを懇々と説きつつ、
自分もそうならぬよう、
心しなければ、と思う。

2016年8月17日 (水)

スニーカーエイジ予選会2016

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予選会が終わった。

結果は優秀校賞とベストサポーター校賞。

ホッとしたのが正直なところ。

今年は、予選会の日程が少し後ろにずれたので、
8月に入ってからが長かった。
合宿を3日に打ち上げて、それから予選日まで約2週間もあるなんてことは、
今までに経験がない。

この間、オフを1日も取らずにやってきたものだから、
練習に向けた集中力が続かなくなってきた。

それでも、特に応援の完成度があまりにも低かったので、
とにかく練習せざるを得ない。

こんな状況だったから、結果が出たときに、
うれしいよりもまずホッとした、が出たわけだ。

まあ、この1年、いろいろなことがあった。
前年、予選通過を期して取り組んでいらっしゃった某高校の顧問の先生が、
優秀校を獲られた時、それはそれはいろいろとあって大変でした、
とおっしゃっていたのが思い出された。

同じ「いろいろ」ではないのだろうけれど、
うちのいろいろは、私が顧問をして以来経験のない「いろいろ」だった。

そんな「いろいろ」もこのスニーカーを仕掛けにすれば収まる。
私はそう信じて、この「いろいろ」をストーリーと捉えて、
スニーカーに取り組む。

取り組む中で、部員たちの変化が見られた。

いい部員だけれど、ここという時になかなかモノが言えなかったのに、
予選日が近づくにつれて思いが高まり、感情が抑えきれなくなって、
みんなに厳しい言葉を発せられるようになった。
思いが高まって、言わずにはいられなくなる、という経験は大切だ。
その思いがわがままではなく、自分以外の存在のためでなければならないが、
これはチームプレーの中でこそ育つ。

こういう変化がクラブの意義であって、
私たちは、変化を促す仕掛けを用意する。
この仕掛けの本気にならざる得ない度合いが髙ければ高いほど効果は大きい。
だからこそ、スニーカーに毎年エントリーしているわけだ。

演奏組も応援組も、なんとか間に合った。
だから、まだ部としての完成度は低い。
これをステップに、ホンモノの部員になって初めてスニーカー予選が終わる。

2016年8月16日 (火)

予選会、いよいよ明日

今年のスニーカーの予選日が明日に迫った。

毎日結果が更新されるが、スニーカーの求めるものには本当にぶれがない。

高校生のクラブ活動の大会というスタンスが絶対に貫かれている。
実際、配点のうちのテクニックは半分しかない。
残りの半分は、部活をする上で必要な気持ちであり、商業的ではない音楽への純粋な畏敬の念だ。

うまい演奏がすべてではない。
もちろん、スニーカーの求める技量は高いけれど、
それは、ある意味、足切り点のようなものであって、
そのラインを超えていれば、その先は心の領域である。
もちろん、心の領域が十分でも、テクニックが十分でなければ、
それはそれでだめであることは言うまでもない。

プロの歌も心を打つが、同じ心に届く音楽でも
プロと高校生では質が全く異なる。

プロは、心への届け方を知っていて、そのテクニックを用いて人の心をゆさぶることができる。
しかし、高校生にはそれは不可能だから、心を届けようとすれば、
本当に純粋に、そういう気持ちを持つ以外にない。

持たないといけないけれど、どうやったら持てるのか、を考えても、まったく意味はない。
テクニックで持てるものではないし、その時だけ持つことも不可能だからだ。

最も簡単な方法は、毎日が生活が充実していて、ただ一生懸命であることだ。
その下地があれば、仲間への思い、人の気持ち、感謝といったことが考えられる。

そういったものを音楽に乗せられるかどうかである。

こういった要素があるから、スニーカーは、いわゆる公的な大会ではないにも関わらず、
取り組む価値があると思っているわけだ。

さあ、いよいよ明日。


2016年8月 4日 (木)

最後の合歓の郷合宿

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合宿が終わった。
合歓の郷での合宿の終わった。

合歓の郷の音楽施設、ミュージックキャンプは、
この8月末をもって閉鎖される。

2000年、初めて合宿に訪れて以来16年。
毎年、夏には合歓の郷ミュージックキャンプで合宿をするのが当たり前だった。

それが来年からはない。

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最終日、スニーカーの練習をしているBスタジオの機材のバラシを部員全員でやった。
この建物が、この先、果たしてあり続けるかどうかわからずあまりに名残惜しい。

最終日、毎年合宿で大変お世話になっている方に、
少しではあるけれど、長らくの感謝の気持ちをお伝えする場を設けた。

スニーカーで演奏する曲を演奏し「365日の紙飛行機」を全員で歌った。

そもそもは、連盟からの紹介で始まった合歓の郷合宿。
その時々の会社の事情で、微妙なマイナーチェンジはあれども、
練習環境は本当に抜群だった。
私たちへのバックアップやフォローも十二分で、
実に快適な合宿をさせていただいた。

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私たちの部のまとまりは、この合宿なしには考えられない。
それくらい重視していた行事だった。

合宿に向けての取り組み、そして合宿本番、
その中でのスニーカー特練と名づけれらた全員での練習、
そういった流れが、部の一体感を生み、1年生は「部員」となっていく。

単なる技量の向上以上に、部の精神を統一する場だった。

ただただ感謝。
そして、ただただ寂しいかぎり。

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2016年7月28日 (木)

吹奏楽コンクールから得たもの

今年から、吹奏楽部の顧問を兼務している。
某高校の総合音楽部を模して、それぞれの部を吹奏楽班と軽音楽班に見立てて、
顧問をそれぞれに配置しつつも、お互いが行き来できるようにした。
クラブの体制の基本を作るために、体育系クラブ顧問を長く務められ、
音楽にも造詣の深い先生にも入っていただいた。

吹奏楽部の運営がなかなか軌道に乗らないことから、
問題点の洗い出しと運営の見直しが可能かを探り、
活性化させたいとの思いからだ。

昨日は、吹奏楽部のコンクールの日。
私も、顧問としてコンクールの開催されるホールの客席で演奏を見た。

これは勉強になった。

軽音のライブとちがって、先生が指揮者としてステージに立つ。
恐ろしいことに、先生と生徒の関係、先生の音楽の捉え方、
そんなものがはっきりと見えてしまう。

指揮をされる先生の細かい指示で音を出す学校、
先生の動きは一定なのに、生徒が必要な動きを捉えて音を出す学校、
パフォーマンスの大きな先生、そうでない先生、
明るい音を出す学校、とても緻密に音を出そうとする学校、
などなど。

吹奏楽が、これほどまで色が異なるとは思わなかった。

なかなか興味深い世界だ。

ひとつわかったこと。
アコースティックの楽器だけに、ピッチと音色がごまかせないということ。
これは、軽音の演奏より圧倒的にシビアだ。
軽音も、もちろんスニーカーのようなシビアな大会になれば同じことが言えるが、
それでも繊細さのレベルが違う。

個人個人の楽器のピッチと音色が澄んでいれば、
アンサンブルも美しい。
ダイナミクスも自由自在で音像がはっきりしている。
その逆は、当然、音像がぼやけて伝える力が弱くなる。

地区大会を抜け、府大会へ進んだ4校は、明らかにそこが優れていた。

軽音楽班は、今スニーカーに向けて取り組んでいるところだが、
指導にこの経験は活かさねばなるまい。

大阪府吹奏楽コンクール南地区大会、
阪南大高吹奏楽部は今回初めて優秀賞をいただいた。
ひとつ階段をのぼった。

2016年7月19日 (火)

2016 1年生デビューライブ

きょうは終業式。

昨日と一昨日の2日間、
阪南大高を会場に、
1年生のデビューライブを行った。

練習試合という名称で。

某高校の顧問の先生が、
体育系クラブって、練習試合するじゃないですか。
軽音も、いつも練習試合のできる環境があればと思って…
とおっしゃっていたのが、ずっと頭にあって、
練習試合というタイトルにした。

実際には、外で演奏するかぎり、
すべてが本番なので、練習試合はないわけだが、
1年生の初めに限って、そんな環境がある。

これから、本格的に音楽活動をする上で、
これからどうしていこうか、
と考える機会は練習試合というタイトルが合っている。

1年生のデビューは、
私が顧問を始めた20年ほど前は、
校内の文化祭を除けば、
校外では1年生の1月のハイスクールライブだった。

それが、秋になり、夏の合宿中になり、
7月になった。

参加されたみなさんが、
この時期にこんなライブがあるのはありがたい、
とおっしゃっるが、
どの学校も、部活のできる期間が短かくなる中で、
少しで長く濃い活動をさせるには、
できるだけ早く対外試合をさせて、
一気に活動を全開にしなければならないという思いがある。

このイベントは1年生向けのイベントだから、
リハーサルをゆっくりやる。

1バンド15分かけて、リハーサルで何をしなければならないか、を確認しながらやる。

モニターのチェックなどといっても、
実際はどうすればいいかわからない。

いつも練習している時の音がきこえているか確認してね。
いつもは聞こえてるのに、
きょうは聞こえないという音があったら言ってね。
いつもより聞こえすぎてうるさい音があったら言ってね。
といった具合で進める。

多分15分でも早く感じるだろうけれど。

それでも、さすが参加される学校さんは、
事前の指導をきっちりされていて、
基本的なことを教える必要がなく、
チェックの時間が短い。
だから、曲通しもやってもらう。

ライブは盛況で、最近は、子どもの部活に関心のある親御さんが多いから、
そんな方も含め、ホールはいっぱいになった。

今年の1年生は、もしかしたら粒ぞろいの学年かもしれない。
初心者が多いにもかかわらず、
短期間の練習時間の割には完成度も高く、
ということは、センスのある子が多い、
ということでもあって、全体に面白い3年間になるように思う。

うちの子たち、音楽と楽器の好きな子たちが多い印象で、
7年ほど前の部員の雰囲気に似ている。

うまくいってもいかなくても、
ここがスタートライン。

誰かの音楽を真似て、
なりきりバンドで満足するのでなくて、
ひとりひとりの持ち味がうまくブレンドされた、
面白いバンド、音楽活動をしてほしいと願う。

2016年7月11日 (月)

部活は、スポーツクラブや音楽教室ではない

時代が変われば、生徒の気質も変わる。

私がこの部活を立ち上げてから、
このクラブを通じて学んでほしいことは、ほぼ変わっていない。

挨拶は身を助けるということ、
みんなでひとつのものを作ることで、
考えること、
協力すること、
自分勝手をしないこと、
コミュニケーションをとること、
ができるようになる。

ほぼこれだけだ。

しかし、最近、クラブを客観的に見ると、
うちの部に限らず、
高校生活を楽しむための手段、という割合が高まりすぎているように思う。

試合やイベントは、学びの仕掛けだが、
それは、生徒たちに感じ取る力があって、初めて仕掛けとなり得る。

残念ながら、前述したように、
クラブが高校生活を楽しむ手段となったのでは、
学びの仕掛けにはならない。

勉強でもなんでもそうだが、
それをなぜやるのか、
という根本的なことはできるだけ言わないで、
子供たちが、仕掛けの中で感じ取ってくれた方がいい。
そうすることが、当たり前であればなおいい。

しかし、今は、なかなかそうはいかない。
一手間、二手間がかかるようになった。

なぜ、このイベントがあるのか、
なぜ、そうしなければならないのか、
なぜ、先生がそう考えているのか、
とにかく、「そもそも」をまず落とし込んでやらないと、
動いてくれないし、意図をつかんでくれない。

しかも、その意図に納得がいかないと、
動きは鈍いし、大切なことが落とし込めない。

うちの部では、とにかく強制的に動かすことにしている。

指示待ち、という言葉があちこちで聞かれるようになったのは、
そういう集団を、いろいろなところで見るからだろう。

国が「生きる力」をいうようになったのも、根元は同じだ。

最近、私がよくいうようになったのは、
どうなるかイメージしてごらん、
ということ。

行き当たりばったりは、ただただ危なく、得るものがない。
イメージで避けられるトラブルもたくさんある。

このように、何かを教えようとした時に、
そのスタートラインが後ろへ下がれば、
当然、学ぶのに時間がかかって、高校3年間では間に合わないことになってしまう。

私か求めるのは、もっと簡潔にいうと、
大人になってほしい、
ということ。

おとな、とは、
古語「おとなし」にもあるように、思慮分別に富む人のこと。
思慮分別とは、
ググってみると、
物事に注意深く考えをめぐらし、判断すること。
物事の道理をよく考え、深く思いを凝らして判断すること。
「思慮」はいろいろ慎重に考えること。
「分別」は物事の是非や道理を常識的に判断すること。
とある。

そんなに難しいことを求めていない。
もちろん高校3年間で完成するはずもないが、
そういう姿勢でものが考えられるようにしつけていくということだ。

私たち教員だけでなく、
保護者も含めて、
ひとつひとつの仕掛けや場面をチャンスと捉えて、
いちいち説明をしてやって、
みんなで思慮分別と生きていく力(知恵?常識?工夫?)をつけてやらないといけない。

そういう世代だ。

2016年6月24日 (金)

第9回全国高等学校軽音フェスティバルに出場ました

全国高等学校軽音フェスティバルに出た。

えらい雨の日だったけれど、
意外にも時間が経ってみると、
そんなことは忘れている。

二つの予選を抜けての本選出場。
今年は、ミジンのアドバンテージもなかったから、
正直ホッとした。

第9回を迎えるこの大会も、
第1回のころは、まだ全国大会ではなく、
エントリーも少なく、したがって予選もなかった。

しかし3回目にはすでに予選が必要となり、
それから4年間は、うちのクラブは本選には出られなかった。

スニーカーとは異なる視点で運営されるこの大会は、
スニーカーには対応できていたうちのクラブも、
この大会には対応できていなかった。

「音楽に順位はつかない」
というコンセプトのもと運営されているこの大会も、
それでも、それぞれの部門には最優秀賞が存在し、
これがまた獲得するのが難しい。

一昨年の大会で部門賞をいただくことができたが、
エンタメ性が重要なこの大会では、
他より突き抜けたステージングを見せることが、
賞云々を抜きにしても大切だ。

結局ハードロックの得意なうちだけれど、
あんまり同じことを続けるのも…
と思って、今年はレゲエに取り組んだ。

これは難しかった。

世に出ているポピュラーなジャンルの中でも、
かなり民族色を残していて、現地に近い人でなければ出せないノリがある。

レゲエバーなんかでかかっているBGMのノリを目指すわけだが、
高校生にそんなものがわかるわけがかなく、
それを伝えるのは至難だった。
その結果できたのが、あのパフォーマンスだ。

このような大会に出ていつも思うことは、
選曲が成功の可能性の大部分を占めているということ。

あっいいな、と思っても、
長い時間取り組む中で、これ以上、何するの?
となることがある。

そんな曲は、大会で取り組むエネルギーとしてはそれが限界。
それ以上のエネルギーを持つ曲と並べると、
印象という面で負けてしまう。
いじり甲斐のある曲を選ばないといけない。

レゲエは、しなければならないこと自体はそれほど多くもなく、難しくもない。
だから難しい。

高校生の演奏する、
ボンジョヴィのリビング・オン・ア・プレイヤーを聴いて、
いいな、と思うことがないのも同じ理由だ。

大会に向けての選曲、
音楽を聴く幅がどんどん狭くなっている高校生には、
実は難しい。

でも、アドバイスをやる私も、
もっと音楽を広く深く聴いて、
そのジャンルの美味しさを伝えられるようにならないと。
ハードロックならツボのわかる私はそう思う。

来年は何をしましょか。

2016年5月31日 (火)

そんな運指練習じゃソロは弾けないよ

先日、備品のベースの調子が悪くなったので、
行きつけの楽器屋に、修理を頼みに行った。

先生のところは、1年生たくさん入りました?

入りましたよ、30人くらい。

やっぱり、ギターが多いんですか?

いや、そんなことないですよ。
ベースとかドラムが多いですね。

ギターじゃないんですねえ。

そうですねえ、
最近は、ベースやりたいっていう子が多いですね。

やっぱり、そうなんですか!
いや、うちも最近、ベースとギターの売り上げがトントンくらいまでになってるんですよ。

ああ、わかりますね。

かっこいいベースのプレイヤーとか、いるんですかね?

いや、そんなポジティブな理由じゃなくて、
バンドはやりたいけど、
ギターは難しそうだから、
って言ってる子はいますよ。

なるほどね。

それから、ギターやりたい!
って思えるようなギターヒーローがいないんですよね。

そうそう、それは、うちのギター講師も言ってました。
70年代、80年代みたいな、
あんな風になりたいっていうギタリストがいないんだって。
フロイドローズ付きの、なんでもできるよっていうギター、
高校生買わないですもんね。

こんな会話をしてきた。

もう、明らか、軽音に入るからにはこうであってほしい部員の理想像から離れてしまっている。

特にギターの子で、こうなりたいという
昔からのギター小僧のような理想像を持っている子は、
うちの部でも一人二人しかいない。

結局、そういう子がうまくなっていって、
あれやこれやとライブに出る機会が増える。

ギターのパート練習を見ると、
一生懸命、運指練習をやっているのに、
ひとつもソロが弾けない。

なんのためにやってんだか、
という感じで、
つまり、実戦につながる基礎練習にはなっていないのだ。

部員は、練習を頑張っているというけれど、
実戦で使えない練習は、
そこで終わってしまう。

ちゃんとメロディーがあって、
それを表現するためのちょっとしたテクニックの必要な、
短いソロフレーズを基礎練習に取り入れていくつもりだ。

運指練習は、指が滑らかに動くようにする、
基本動作のウォーミングアップ。
そのあとが「練習」だ。

ギターはもっともっと楽しいもんだよ。
苦行のような練習も必要だけれど、
感性にぐっとくるギターを弾かないとね。

ベース、キーボードもしかり。