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2012年1月12日 (木)

デジタルなコミュニケーションとアナログなコミュニケーション

新学期が始まりました。
私のブログも再開。

年頭の所感というところですが、
違う話です。

先週土曜日の話です。
4年前に卒業した、私の受け持ったクラスの同窓会がありました。

まもなく大学を卒業して、
みんなばらばらになる前に集まろう
ということになったのです。

会が始まって話が盛り上がるにつれて、私は話について行けなくなりました。
何の話って、mixiとかFacebookとか、
そういった類の話で盛り上がり始めたからです。

この種のコミュニケーションツールについて、
少し思うところがあります。

デジタルのコミュニケーションツールというやつは、
何層かの階層ができているように思うのです。

それは、それらのツールができる順に下層に位置されているように思います。
外から海中を覗くように、だんだん見えにくくなる。

最上層にあるのは携帯メール。
今やすべての年齢層が使えて、
それまでのアナログなコミュニケーションを、
デジタルに置き換えただけなので、わかりやすい。

次の層が、インターネットの掲示板。
誰でも見ることができる意味では、
まだまだ透明性が高いけれど、
記事から投稿者まで匿名になり、
この種のツールの陰の部分が見え始めます。

さらに深い層にあるのが、パスワードを必要とするコミュニティサイト。
「会員制」とした段階で、一気に透明性は低下するわけです。
しかも、生徒たちが「足あとが残る」とか、
「自分とわからないように」といった表現を断片的に聞くにつけ、
このサイトを始めた人間の意図がどうであれ、
陰の部分が増大したのは確かです。

どのツールも、使用する人間のモラルで、陰にも陽にもなる。
もちろん、世の中にあるものすべてそうだけれど、
昔からのものは、それなりにトラブルが出尽くして安定している。
でも、これらのツールはまだまだ歴史が浅すぎて、
まだまだ未知のトラブルの可能性がある。
だから、敏感な高校生でさえ、注意深く、ビクビクしながら使っている感があります。

で、件の同窓会では、この最深層の話に花が咲いてしまって、
私には理解できなかったわけです。

それを察してくれた卒業生が
日の当たる話題を振ってくれて助かりましたけど。

それでも、最後に感じたのは、そんなコミュニケーションツールを利用する彼ら彼女らであっても、
「心に響く」感性というのは、
私らと何ら変わらないということでした。

それこそ、そういったツールの申し子のような子がいうのです。
「私、今、めっちゃ本読むんですよ。給料安いけど、月2万円くらい本買うねん…。」

やっぱりアナログな声や文字に行き着く。
音楽だって、圧倒的にライブの方が伝わりますもんね。

2011年12月26日 (月)

2011グランプリ大会終了!

準グランプリ校賞!

素直にうれしい。
子どもたちのおかげです。

Img_7075

先を行く他校の顧問の先生を追いかけてきただけに、
追いついた、などと大それたことは言いませんが、
その先生方が見たもの、見ているものが、
少し見えた気がして…。

グランプリに届かなかったのは私の至らなさ。
準グランプリまで来て、
グランプリに達するには足りないものがあることに気がつきました。

最後はもちろん技術につながるわけですが、
その技術を発揮するには、それを扱う心が必要なわけで、
足りないものとは、当然、その心ですね。
どんな心かということは、私の感覚の中でしかわからない。

その、うちに足りない心を、最初から持っているクラブもあれば、
その指導の必要なクラブもある。
うちは後者。

というよりは、私がその部分の指導を怠っていたということ。
子どもたちは、私の言葉を受け取って、
やるべきことはちゃんとやってくれてました。

人は言葉で動く「生き物」。

痛感しました。
またガンバロ!

応援いただいた、皆さん、本当にありがとうございました!

2011年12月22日 (木)

冬至の意味するもの ~スニーカーエイジがこのころに開かれるわけ~

外が暗い。
それもそのはず、きょうは冬至。

冬至は、冬に至ると書くので、
なんとなく陰鬱に思うかもしれませんが、
私は、ああ、これから毎日少しずつ日が長くなるなあ、
とうれしくなる。

ああ、やはり私は日本人だ、と感じます。

日本人は、古来、明と暗でものを捉えてきた、
つまり、昼と夜に置き換えて、ものを捉えてきました。

日の昇る、明るくなる頃は、「誕生」「スタート」。
反対に、日の沈む、暗くなる頃は、「死」の瞬間であり、「終着」であるわけです。
ただ、夜は必ず明ける。
従って、人は、また人に生まれ変わるのだ、
というのが、古来からの考え方です。

そう捉えれば、きょうは終着であって、
明日はスタートの日ということ。誕生の日なのです。

私の感覚も、どうやらそれに沿っていて、
そう考える私は、やはり古来からのDNAを受け継ぐ
日本人だと思うわけです。

「明」は送り仮名「く」をつけると、
「あく」と読みますが、
「いらないものを取り除く、新しいものができていく」
という原義があって、
その意味と構造は、同じ発音をする「開」も「空」も同じです。

だから、結婚式の披露宴を終えるときに、
「お開きにする」
という。

結婚式で「終わる」という言葉を使うと縁起が悪いから、
というネガティブな発想なのではなく、
「開く」ということによって、
新しいものができていくことに期待を寄せる、
というポジティブな発想がそこにはあるのです。

クリスマス、つまりイエスの誕生日がこの時期なのも、
この理屈で理解できる。
卑近なところでは、
もしかしたら、We are Sneaker Agesがこの時期に移ったのも、
必然なのかもしれませんね。

きょうは冬至。
昼の時間が長くなり始める明日からを思うと、
ちょっとわくわくしてきます。

2011年12月20日 (火)

バルセロナVSサントス…日本で見られる幸せ!

きょうはサッカーの話。

日曜日にあったバルセロナとサントスのゲーム、
日本で開催されるなんて幸せですね。

ところで、あのゲームは面白かった!…んでしょうか?

私はサッカーをやっているわけではなく、
「ウィニング11」に興じる
ごく一般的な野次馬のようなファンですから、
プロには爽快な試合を求めます。

バルサは上手すぎますよね。
常に三角形を作って、
相手選手を翻弄するようにパスを回しながら、
相手ゴールに近付いていく。
そして、隙を見てゴールを狙う。

じわじわと追い詰めていくその姿は、
サバンナの猛獣のようです。

ボール支配率はバルサが75%ほど。
恐ろしく高いですよね。
見ていても、サントスがボールを持っていたイメージがない。

この試合を見ながら、いくつか似ているものを思いつきました。

あの三角形を作ってボールを回す姿は、
友達から取り上げた帽子を投げ合う小学生のよう。

闘志を表に出さないで、
冷静にじっくりチャンスを待つ姿は、
往年のテニスプレーヤー、イワン・レンドルのよう。

雑さがとことんまで排除された、
完璧なサッカーのように映りました。
それでも国内やヨーロッパでは、
負けることがあるんですね。

人間には一定ということはあり得ず、
ゆえに完璧もあり得ない。
だから面白いんですね。

あのバルサが、常に完璧で勝ち続けることがあれば、
メッシもイニエスタも、名前を覚えてもらえないでしょう。

スペインびいきの私はバルセロナを応援していましたが、
試合として盛り上がったのは、
バルサがゴール前までボールを持ち上がり、
ディフェンスラインも上がった時、
一瞬の隙をついてサントスの縦のパスが通り、
パスを受け取ったネイマールがシュートしたシーン。
キーパーの股を抜こうと狙ったシュートは、
残念ながら太ももに当たって得点にはなりませんでしたが、
ほんのわずかな狂いによってはサントスの得点シーンになっていたはずです。

うーん、スタイルは南米サッカーの方が好きかなあ。

今回4位に甘んじることになりましたけれど、
柏レイソルのサッカーは面白かったですね。
ちょっとファンになりました。
柏…やっぱり千葉ですねえ。

好きなことを書きましたが、
ド素人ファンの戯言ということでお許しを。

2011年12月19日 (月)

2011スニーカーエイジGPまで1週間もないじゃん!

きょうは19日。

通勤の車内には、
「年末年始」とか、「初詣」という文字が目につきます。

私には年末なんて、
まだ2ヶ月くらい先のことのよう。

スニーカーGP大会も、
本番まで、ついに1週間を切りました。
これもまた実感がない。
全然、完成には程遠いし…。
一体、この感覚の正体は何なんでしょう?

最近、クラブが仕事にならんかな?
と思うことがあります。
時間がたっぷりあれば、うちの部からプロが出せる、
とか、そういったことじゃなくて、
あの子たちに伝えてやりたいことを、
もう少し時間をかけて、丁寧に話してやれるんじゃないか、
と思うのです。

うちの部も、20年分のキャリアが積み重なって、
子どもたちも、がむしゃらにやればいい
というポジションではなくなった。
校内外ともにです。

ところが、私の思いとは裏腹に、
自己満足の傾向が強くなってきた。
これではだめなんですね。
そのあたりを丁寧に見ていきたいと思うわけです。

私が子どもたちにかける言葉を、
子どもたちは、きっと理不尽に思っていることでしょう。
筋道だてて考えれば、そこに行き着く結論でも、
とりわけ最近の子どもたちは、
その筋道をイメージする力が乏しく、
それは明らかに日本語の能力の低下があるわけですが、
であるが故に、ゆっくり時間をかけて理解を待つ必要があるのです。

軽音楽部は難しいクラブです。
偏見、思い込み、自己満足、
これらと戦わなくてはならないという課題が本質としてあります。

それらをまとめて考える、
形にするという機会として、
スニーカーエイジという大会がある。

高校生の軽音楽部の部員にありがちな自己満足。
音楽なんて、人に聴いてもらってナンボなわけで、
それを嫌がったり、独りよがりになるくらいなら、
カラオケへ行けばいいんです。
でも、カラオケでさえ、
自己満足に振る舞うと、誰も聴いてくれませんよね。
ついに一人でカラオケに行くことが、
究極的な自己満足の解決法ということになる。
ところが、ちょっと自己顕示欲があるんですね。
だから厄介なんです。

スニーカーエイジは、そうしたところを、
一切お構いなしに切ってくれる。
それが、指導の仕掛けとしてのスニーカーエイジの魅力です。

あと1週間。

クリスマスにUSJに行かず、
反対側の舞洲に来てくれる人たちに、
USJよりもよかった、
というおみやげを持って帰ってもらえるか、
です。

2011年12月13日 (火)

ピンクフロイドへの想い

最近、いい本に出会いました。

どうも、ここのところ、私の中でピンクフロイド熱が高まっていて、
前々からもたげているピンクフロイドを(自分の中で)どう位置づけるべきか、
という自問に答えたくなってきたのです。

Amazonを頼って検索すると、
ピンクフロイドを概略的に把握するのに、
ちょうどいい資料が見つかりました。

ピンクフロイド ~深遠なる迷宮への誘い~

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「国文学 解釈と鑑賞」のような論考集に近く、
ピンクフロイドが華々しく活躍した時代に、その近辺にいた日本人の対談や
著名な方々によるエッセイから成っています。

ピンクフロイドの世界が「深遠な迷宮」であるという比喩はため息が出るほどで、
誘われた私たちに、その実像の解明のための様々なアプローチを示してくれています。

楽曲に触れただけでも、その深みを知りたいと思う。
歌詞やジャケットデザインについて、その意図するところを知りたいと思ってしまう
ピンクフロイドの魅力。
それはメンバーそれぞれの性質が関わりあって生起している状態であって、
あの音楽が生まれるには、そのメンバーでなければならぬ必然があるはずです。

私はなぜピンクフロイドが好きなのか、
キングクリムゾンを聴いても、ELPを聴いても、
個人の感想として、深遠に感じないのはなぜか、
私も、大いに論じてみたいと思うけれど、
おおよそそんな頭も経験も持ち合わせていないし、
一(いち)リスナーとしての興味を充足したいにすぎません。
まずは、この「論集」で自分のピンクフロイド像をチューニングすることにしましょう。

私がピンクフロイドに出会ったのは「THE WALL」が出たころ。
ある意味、ピンクフロイドが頂点に達していたころで、
その後ピンクフロイドは「The Final Cut」を送り出し、ロジャー・ウォーターズが抜け、
ディヴィッド・ギルモアによって「A Momentary Lapse Of Reason(鬱)」が出され、
日本にやってきます。

私のリアルな体験としてのピンクフロイドはこのあたりでしかなく、
卵からかえったヒナのように、それをピンクフロイドだと思っているわけです。

だから、「狂気」も「原子心母」もいいと思うけれど、「鬱」の印象が強いし、
でも、それはロジャーウォーターズのいない、
擬似ピンクフロイドを好んでいるだけかもしれない。

そのあたりのコンプレックスを解消したいのです。

2011年12月 9日 (金)

Taylor Swift Speak Now World Tour Video はおススメ! 

きのう、同僚からTaylor SwiftのライブDVDを借りました。

「Speak Now World Tour」

アメリカ国内ツアー、おそらくシカゴかと。
同僚は、それをAmazon UKで見つけてUKから購入してましたけど、
確かに、まだ?日本での発売はありませんね。

12月14日にDVD付き?というCDが出るみたいなので、
多分DVDの内容はいっしょだろうということで、
私も早速予約を…。
あのライブの日から、ビデオの発売を心待ちにしてましたから…

さて、ビデオはテイラーの魅力たっぷり。
スマイルのかわいいこと!

実際に大阪城ホールで見たとき、
こんなに曲間が長かったかな?
と思いましたが、
ちょっと間延び感があるのは、
家族の目にさらされながら
テイラーのスマイルを見ているからでしょう…

そう、曲間のほとんどの時間が、テイラーのスマイルだったりするわけで、
ライブの時は、その空気の中で、あのスマイルに引き込まれていたのです。

そうそう、アメリカでも、客席はペンライトでいっぱい。
そうか、あれはジャニーズなんかの流用でやってたわけじゃないんですね。

客層も、絵に描いたような「ティーンエイジャー」ばかり。
「ハイスクールミュージカル」みたいな高校生でいっぱいです。
もう、キャーキャー言ってて、
いわゆるライブではなくて、
「テイラー(スマイル)ショー」です。

音も演奏も、あまりいいとは思わないけれど、
テイラーのスマイルがその難を消して余りある、
というレベルをはるかに超えています。
テイラーファンのための、
「動画」写真集でしょうか。

生徒と「Story of us」のコピーを、
恐れ多くもさせていただきましたが、
テイラーの曲は、やってても楽しいですよ。
ぜひお試しを。

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改めて大阪公演の写真を見たら、
セットが全然違うじゃん!
アメリカの骨組み程度やねえ。

やっぱりテイラーファン必携ですわ。

2011年12月 6日 (火)

教員免許更新講習をポジティブに考えてみる

教員免許更新講習について、
ちょっとポジティブに考えてみました。

学校に生徒と仕事を残してまで、やる意味があるのか、
とどこかで思いながら、講習に向かいます。

でも、毎回、これはこれでいいんじゃないかなあ、
と思って帰るのです。

ネットでシラバスを検索して、
どうせなら、これが聴きたいなあ、
と思う講義が取れたことがないのに、
必ず、これはこれでためになるなあと思う。
いわんや自分の聴きたい講義をや、です。

果たして、この更新制度が必要なのかという議論とは別に、
勤務する学校を離れて、大学に出向いて講義を聴く
ということそのものは悪いことじゃありません。

はたと思いました…

ものすごくポジティブに捉えれば、
学校にいると忙しくてなかなか外に出られない先生を、
国が義務を振りかざして、
強引に外に連れ出してくれているんじゃないか、
と。

どこまでおめでたいねん、
と怒られても、
頭と身体は、しっかりリフレッシュして帰ってくるのです。
それだけは間違いないのです。

そりゃ疲れますよ。
一日終われば、脳が疲労しているのがわかります。
でも、普段と違う部分を使ってますし、
「受け身」ですから。
場所も違う。
リフレッシュできる条件は揃っているのです。

学生のころとは違って、
少しは賢くなった頭で聴くと、
目からウロコの落ちることがたくさんあるんです。

どうか大学の先生にこそ、学生におもねた、
ばかな評価制度なんかやめて、
入試問題を山ほど作る時間をなくして、
誰におもねることなく、
ご自分の研究に没頭する時間をさし上げてください。
たとえ、すぐにお金にならないことでも。
それくらい大切な方々です。
そんな先生のお話を、私はもっともっと聴きたい。

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教員免許更新講習、
日常のセオリーの中で、
偏りがひどくなっていた私の頭を、
適度にまぜてもらった、
そんな機会でした。

1+1=2は真理ではない。
と数学者の森先生がおっしゃっていた。

という話だけでも、おもしろいじゃないですか。

2011年12月 5日 (月)

バカとアホの違い ~教員免許更新講習制度を考える~

教員免許更新講習が終わりました。

校務やクラブの指導があって、
行く日が限られてしまう中、
先週の土曜日で、やっと終了。
もちろん、試験に受かっていればですけれど。

土曜日は、佛教大学まで。
佛教大学は、大学を卒業してから、
妙にご縁があります。

朝から曇り空の京都へ。
京都へ行くのは苦ではありません。
むしろ、わくわくします。

京都駅に着くと、朝早くから観光客でえらい人。
今年最後の行楽ですね。
まだまだ、紅葉も大丈夫。

私は佛教大学へ。

大学は改装工事中でしたが、
講習は、この4月に使用が始まった1号館でした。
廊下にも暖房が入っています!
ディズニーランドのような匂い。
つまり、全面カーペット貼りということですが。

講義のタイトルは
「眼をひっくりかえす」。
何のお話をされるのだか、皆目検討がつかなかった。
でも、これしか選びようがなかったのです。

講義が始まりました。
口調は落語のよう…

インド哲学でした。

気がつけば90分。
失礼ながら、本当に大学の先生の知識の多さには感心します。
この日も、先生お一人で6時間の講義。
でも、まったく飽きる暇がない。

最近、自分で扱った教材や、
2週間前に奈良教育大で聴いたお話とテーマがかなり近くて、
頭がごちゃごちゃになったり整理されたり。

バカとアホの違い。
バカは侮蔑する言葉だが、
アホはそうではない。
サンスクリット語の「五十音」は、
aで始まりhauで終わる。
アホとは、ひとつのことに取り掛かれば、
最後までやり通すこと。
つまりほめ言葉である…そうです。

確かに、大阪では、
「アホやなあ」
というときには、愛がこもっています。
「(愛すべき)アホ」であって、決して侮蔑ではない。

「アホやなあ」
と言われて、
「バカにされた」と怒るのでは、
深い深い意味の取り違えがあります。
わかりますよね?

桃栗三年柿八年
柚子は九年で花盛り
梅は酸いとて十三年
梨の馬鹿野郎十八年
ダルマ九年で
我一生

これを座右に置きながら…
眼をひっくり返して自分を見つめなおす、
そういう機会にはなりました。

おみやげは阿闍梨餅を。
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おいしいですよね。

2011年11月29日 (火)

チョッパーの目覚まし時計、これがなんともかわいいのです!

気がつけば11月も明日で終わり。
今月も、駆け抜けるように過ぎていきました。
私のデスクには、明日締め切りの仕事が4つほど…。
きょうもセコムやろな…。

ところで、最近、うちにチョッパーがやってきました。
目覚まし時計なんですけど、
なんか、こいつが妙にかわいい。

Photo_2

朝、セットした時間になると、テーマBGMとともに、
「おい、朝だぞ、起きろよ。何時だと思ってるんだ!」
と、あのかわいい声で言うわけです。

「おい、朝やで!起きや!何時や思てんねん!」
と「おかん」に言われるより、
はるかにすっきり起きられます。
いや、もちろん私じゃないですよ。

チョッパー、昼間は周りの音に反応して、
なんだかんだとしゃべります。

ちょっと持ち上げると、
「もう、なにすんだよぉ」

目の前でお菓子を食べようとすると、
「甘いものが食べたいのぉ」
(ちょっとおじゃる丸みたいですが…)

最近の目覚まし時計の中では大ヒットですねえ。
ちなみに東急ハンズで購入です。
Amazonにもありますね。
¥3310でした。

http://www.youtube.com/watch?v=g0yR_YXfcYU
こちらに動画がアップされてますよ。