デジタルなコミュニケーションとアナログなコミュニケーション
新学期が始まりました。
私のブログも再開。
年頭の所感というところですが、
違う話です。
先週土曜日の話です。
4年前に卒業した、私の受け持ったクラスの同窓会がありました。
まもなく大学を卒業して、
みんなばらばらになる前に集まろう
ということになったのです。
会が始まって話が盛り上がるにつれて、私は話について行けなくなりました。
何の話って、mixiとかFacebookとか、
そういった類の話で盛り上がり始めたからです。
この種のコミュニケーションツールについて、
少し思うところがあります。
デジタルのコミュニケーションツールというやつは、
何層かの階層ができているように思うのです。
それは、それらのツールができる順に下層に位置されているように思います。
外から海中を覗くように、だんだん見えにくくなる。
最上層にあるのは携帯メール。
今やすべての年齢層が使えて、
それまでのアナログなコミュニケーションを、
デジタルに置き換えただけなので、わかりやすい。
次の層が、インターネットの掲示板。
誰でも見ることができる意味では、
まだまだ透明性が高いけれど、
記事から投稿者まで匿名になり、
この種のツールの陰の部分が見え始めます。
さらに深い層にあるのが、パスワードを必要とするコミュニティサイト。
「会員制」とした段階で、一気に透明性は低下するわけです。
しかも、生徒たちが「足あとが残る」とか、
「自分とわからないように」といった表現を断片的に聞くにつけ、
このサイトを始めた人間の意図がどうであれ、
陰の部分が増大したのは確かです。
どのツールも、使用する人間のモラルで、陰にも陽にもなる。
もちろん、世の中にあるものすべてそうだけれど、
昔からのものは、それなりにトラブルが出尽くして安定している。
でも、これらのツールはまだまだ歴史が浅すぎて、
まだまだ未知のトラブルの可能性がある。
だから、敏感な高校生でさえ、注意深く、ビクビクしながら使っている感があります。
で、件の同窓会では、この最深層の話に花が咲いてしまって、
私には理解できなかったわけです。
それを察してくれた卒業生が
日の当たる話題を振ってくれて助かりましたけど。
それでも、最後に感じたのは、そんなコミュニケーションツールを利用する彼ら彼女らであっても、
「心に響く」感性というのは、
私らと何ら変わらないということでした。
それこそ、そういったツールの申し子のような子がいうのです。
「私、今、めっちゃ本読むんですよ。給料安いけど、月2万円くらい本買うねん…。」
やっぱりアナログな声や文字に行き着く。
音楽だって、圧倒的にライブの方が伝わりますもんね。














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